2021年10月19日火曜日

異なる景色で学ぶ

指導現場で「する必要(意味)がないこと」を「してしまう」ことってありませんか?

他者の指導をみること・きくことは非常に大事な機会です。
10月は有り難いことにそういう機会に触れることができています。
本当は指導後にその指導者の頭の中を詳しく覗くためのコミュニケーションを図ることができればなお良しです。

指導者のアクション(アプローチ・メニュー内容など)をみることで自身に置き換えたり自分ならという思考を持つことで、自分の整理やアップデートにつながります。

しかし、もっとみるべきところは選手の反応です。
その指導者のアクションにどんな反応を示しているか?その後のプレーや姿勢にどんな影響があったか?

当たり前ですが、指導者は選手に向けて想いを持ってアクションしています。
そのアクションの答え合わせ的なところが選手の反応です。

よく集中していない様子の選手に「集中しよう!」と声をかけているシーンをみます。
おそらく僕自身も同じようなシーンに直面したら同じようなアクションをしてしまうと思います。

「してしまう」というのは「する必要(意味)がない」と考えているのでそう表現しています。
他にやるべきことがあります。

例えばアニメや漫画、映画、今時だとスマホゲームやYouTubeなどに興じているときはあっという間に時間が過ぎている感覚になっているはずです。
それはもちろん「夢中になっている」からです。
集中しているかどうかのバロメーターは夢中になれているかどうかだと考えています。

つまり集中できていない様子の選手には「夢中になれない何か」という原因・要因が存在しているはずです。

それを踏まえると、どのようなアプローチをすべきなのか?
少なからず「集中しよう」という言葉ではありません。
だってタブレットに夢中になっている子は「集中しよう」という声かけをされて夢中になっているわけではありませんから。

でも現場に立っているとそういうこと(集中していない要因)になかなか思考が回らず思わず「集中しよう!」と声をかけてしまいます。
だからこそ異なる景色(立ち位置)で他者の指導現場をみることで気づきを得られます。

外から見ているとなぜ集中できていないのか?という要因がよくわかります。
その要因は様々ですが、その要因がみえたときに「ではどうすべきか?」という対処方法も同時に浮かびます。

子ども・選手に不具合が生じているときはほとんどのケースが指導者側の何かを変えることで解決できるのだろうな、と外側にいるときに冷静に考えることができます。
いかにして指導者である自分自身に矢印を向けることができるか?

普段と異なる景色で指導現場をみることで自責という言葉の重みを感じることができます。

AFC茅ヶ崎 監督 伊藤 大介


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